昨年末25年ぶりにハワイに行ってきました。目的は「日米スーパーシニア親善野球」への参加です。そこで私の「生」と「仕事」と「英語を学ぶ」原点を再確認できましたので、ご紹介させていただきたいと思います。
昨年10月、ある新聞に「白球で日米対戦を−武器をバットに持ち替えて―」という記事が掲載されました。太平洋戦争を戦った日米の従軍経験者が60年以上の時を超え、野球で対戦するというのです。参加資格は75歳以上ですから、私には選手として参加資格はありませんが、何かに突き動かされるような思いで申し込みました。ボランティアの通訳と、フリーバッティングのピッチャー兼ノッカーとしての参加でした。
アメリカチームはフロリダのKids & Kubsというチームで平均年齢は80歳を超します。日本チームも同様ですが、全国から19名が参加した混成チームでした。中には神風特攻隊員の方もいました。試合は、パワフルなアメリカチームが14対2で日本チームに圧勝。
82歳の元米軍兵の、“I think it’s a great thing when you consider
60-some years ago, we were shooting each other. I’ll never
forget what happened but I’ll forgive.”という言葉が心に残りました。また、84歳の元日本兵の、“It’s
completely, we lose. But much enjoy. I’m happy.(完敗です。でも、とっても楽しめました。幸せです)”というコメントが地元新聞にそのまま紹介されました。文法はともかく、生き生きとした顔が浮かんできませんか?
戦没者の墓地を訪れたとき、87歳のWaltさんというアメリカ人が私の名刺を見て近づいてきました。“Did
your father in the Philippines? I was in the Philippines
in 1945. I ordered my men to treat Japanese POWs humanly”というのです。POWは戦争捕虜です。父は1945年フィリピンで戦争捕虜となりました。そのことを私は名刺に印刷したのです。
“My father was a P.O.W. in the Philippines. He thought
he would be killed, but he wasn’t. It’s all because of
the humanitarian treatment by the American troops. Therefore
my six children and I exist today. I would like to express
my heartfelt gratitude to the American people. Thank you,
and long live!”
父と同じ年のWaltさんは、このメッセージを見て私のところに駆け寄ってくれたのです。その夜Waltさんと食事をしていると、Waltさんは「自分の出した命令が・・」といいながら涙を流していました。その後は言葉にならず、2人で抱き合って号泣でした。
私の父は50才で他界しましたが、今回は父の魂に動かされて行ったと思っています。Waltさんがいて父が生き、私が生まれ、父に言われて学び始めた英語の仕事をし、今こうしてたくさんの人たちへこのようなメッセージの発信ができることを幸せに思います。
これならできる英語合宿は、那須高原の「英語難民救済センター」で実施しています。センター命名の元は、父がいた収容所です。収容所には英会話教室もあったそうです。
この話は3月22〜23日実施の合宿でも紹介させていただきます。英語の学び方と学ぶ原点もシェアしたいと思います。2008年が皆様にとっていい年でありますように。
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